土佐堀川・中之島公園・堂島川をまたがる堺筋に架けられている、全長約190mの橋。
橋詰の4ヶ所に、阿(あ)と吽(うん)それぞれ2体の石造のライオン像が配置されていることから、「ライオン橋」の愛称でも親しまれている。
江戸時代、この橋は堺筋の西隣にある難波橋筋に架かっていた木橋で、北詰は樋之上町、南詰は北浜一丁目、橋長約207m、橋幅約5.7mの、幕府直轄の公儀橋だった。
反り橋だったため、周辺の16橋や遠くの山々を眺めることができ、橋の上は花火見物や夕涼みの一等桟敷となるなど、絶好の行楽地としてにぎわっていたそうだ。
明治45年(1912)、市電堺筋線を北浜から北の天神橋六丁目へと延伸する際に、現在の位置に移された。
華麗な照明灯、中央の中之島公園へ降りる広い石造りの階段など、都市景観の創造が図られた設計が見事。