医者・蘭学者、そして教育者でもあった
Q15を中心として開かれた蘭学の私塾。
正式には適々斎塾(てきてきさいじゅく)または適々塾と呼ばれます。
名前の由来は
Q15の号である「適々斎」からつけられました。
もともとは医学を教える塾でしたが、志にあふれる塾生たちはオランダを通じて伝えられる最新の知識にも興味を示し、各種の本を読みあさって、蘭学塾に発展していきました。
当時、オランダ語を翻訳する「ヅーフ辞書」の置かれた部屋は、明かりの消えることがなかったと言われています。
幕末から明治維新にかけて活躍した人材を多く輩出し、現在の大阪大学の源流の1つとなりました。
現在の建物は国の重要文化財に指定され、内部は
Q15が居住していた当時の姿に復元されています。
西側の緑地公園には、座して「熱心に」読書にふけっている
Q15があります。