奈良県奈良市登大路町(のぼりおおじちょう)にある、南都六宗の一つ、法相宗の大本山の寺院です。1998年に「古都奈良の文化財」の遺産群の1つとして、世界文化遺産に登録されました。
藤原氏の祖・藤原鎌足(中臣鎌足)の妻が夫の病気平癒を願い建立したのが始まりです。当初は「山階寺(やましなでら)」の名称で山科(現在の京都市山科区)に建立し、のちに藤原京(現在の奈良県橿原市と明日香村)へ移転。名称も「厩坂寺(うまやさかでら)」に改められました。
710年に都が平城京へ遷都すると、厩坂寺も現在の場所へ移され、「興福寺」と名付けられました。藤原氏が勢力を拡大するのに伴い、伽藍もどんどん整備されていきます。714年には金堂供養を行い、聖武天皇が726年に東金堂、光明皇后が730年に五重塔、734年に西金堂を建立しました。
全国各地に荘園を持ち、財力と影響力あったことから、平安京へ都が遷都してからも興福寺の強勢は続きます。1017年の落雷や、平家による南都焼討の際も、すぐに復興していました。しかし、戦国時代になると興福寺の勢力は衰退。1717年の大火や明治時代の廃仏毀釈などの影響で、境内は盛期の10分の1にまで縮小してしまいました。
現在は、古くからある建物と宝物の保存と、焼失した建物の再建が進められています。2018年には、興福寺の伽藍の中心的存在である中金堂が復元されました。