安福寺は奈良時代の僧行基の創立ですが、中世には荒れはててただ一棟の小堂があるにすぎませんでした。
寛文年間(1661 年から 1673 年)に浄土宗の珂憶上人によって再興されました。
徳川家康の孫である尾張徳川家2代藩主・光友が珂億の学徳を慕って帰依し、安福寺の再建に力を貸しました。
その後も尾張徳川家は安福寺に寄進を続け、菩提樹蒔絵香筥、山水蒔絵硯箱、
牡丹蒔絵硯箱は重要文化財に指定されています。
こうしたことから境内の最高所には、光友の廟所があり、中央に光友、その左に夫人、右に嫡子の墓碑が建っています。
この時に建立された本堂は、大風や地震に耐えるように屋根を低くして太い柱で支えた「珂憶建」と呼ばれる様式で、建築史上、貴重な存在とされています。