晴明神社は、平安時代中期の天文学者である安倍晴明をお祀りした神社です。
寛弘4(1007)年に創建され、晴明の偉業を讃えた一条天皇の命により、そのみたまを鎮めるために、晴明の屋敷跡である現在の場所に社殿が設けられました。
古い資料によれば、創建当時の晴明神社は、東は堀川通、西は黒門通、北は元誓願寺通、南は中立売通という広大なものであったとされています。ところが、応仁の乱の後、豊臣秀吉による都の造営や度重なる戦火によって、その規模は縮少。古書、宝物なども散逸し、社殿も荒れたままの時代が続きました。
その後、式年祭の度に、氏子が中心となって整備・改修が行われ、昭和25(1950)年には、多年の宿望であった堀川通に面する境内地が拡張されるなど、晴明の御神徳を仰ぎ尊ぶ崇敬者の真心によって復興が進められました。
近年は、文芸、漫画、映画などを通じて晴明の存在は広く知られ、全国にその崇敬者を集めるようになりました。平成15(2003)年には、御鎮座壱千年祭が斎行されました。
晴明神社は、「魔除け」「厄除け」の神社でもあります。また全国各地に同名の神社が存在します。
本殿の北には晴明井といわれる井戸があり、この湧き水は晴明の陰陽道の霊力より湧き出たと言われる晴明水と呼ばれ、無病息災のご利益があると言われています。
伝承によれば千利休が茶会において、この井戸から汲んだ水を沸かし、茶の湯として利用していたといわれ、豊臣秀吉もその茶を服されたとされています。
この井戸は五芒星(晴明紋)を描き、その取水口がその星型の頂点の一つにあり、立春には、晴明神社の神職がその晴明井の上部を回転させ、その年の恵方に取水口を向けるのが慣わしとなっております。