宇治神社の本殿は国の重要文化財に指定される神社。
「日本書紀」に出てくる莵道稚郎子(うじのわきいらつこ)を祀っています。
莵道稚郎子は応神天皇の皇子で、宇治十帖の八宮(はちのみや)のモデルとも言われています。
宇治神社と宇治上神社が鎮座するこの一帯は、莵道稚郎子の邸宅跡と考えられていて、皇子の亡くなった後、邸宅跡にその霊を祭ったのが両神社の起こりと言われています。
明治維新までは宇治神社とその東奥に位置する宇治上(うじかみ)神社は一対の関係でした。
応神天皇の離宮とも関わりがあったと思われ、「離宮社」、「離宮八幡」などとよばれていました。
地域の産土神(うぶずながみ)であった離宮社は、対岸に平等院が建立されると、その鎮守社としての地位も与えられます。
平安から鎌倉時代にかけては藤原氏の援助もあり、「離宮祭」とよばれる祭礼時には神馬が奉納され、競馬、田楽が華々しく行われ、宇治川は舟で溢れかえったと伝えられています。