阪神野田駅周辺。松下幸之助創業の地をは今は住宅や工場だった。

あのPanasonicの創業の地が阪神野田駅近くの福島区大開にあった。

阪神野田駅から西へ進むと見えてくる公園に、松下幸之助創業の地記念碑があった。

松下幸之助創業の地記念碑

記念碑の横には、当時の建物の写真が貼られていて、
どの場所にあったのかが地図で示してある。

松下幸之助創業の地マップ

わかりやすい、これなら当時の場所を探すことができそう。
創業時の建物はこのようなものだった。

松下幸之助創業時の建物工場
松下幸之助創業時の建物工場

どんなに大きな会社も、はじめはこのようなちっぽけな小屋から始まるんだね。
あのAppleだって、はじめはガレージの隅から始まったんだ。

さて、地図で見ると、この今いる公園は「第二次本店工場」だったようです。

第二次本店

ここから西へ歩いて4番の「第二次工場(ランプ組み立て工場)」に行きます。

福島区大開

住宅地のようなところから、徐々に向上や製造業の建物が多くなってきます。
ランプ組み立て工場というから、そういう地区に工場を建てたのだろうか。

西へ進んで、少し広い道路を渡ると工場があります。

株式会社ヨーコーウィルディング

「株式会社ヨーコーウィルディング」の裏側あたりがちょうど「第二次工場(ランプ組み立て工場)」だったようです。

松下幸之助創業時の建物工場

今はこのようになってます。

松下幸之助創業の地「第二次工場(ランプ組み立て工場)」の現在

まあ、ただの工場の裏です。
形跡があるわけでもなく、案内板があるわけでもありませんでした。

次に「第一次本店・工場」に向かってみます。
途中、警察の取り締まりを見かけました。
急に雨が降ってきたんですが、雨が降るとすぐに警官は撤収してしまいました。
そんなもんなの?雨が降っても関係ないかと思いましたが。

雨で撤収

「第二次工場(ランプ組み立て工場)」から少し戻る感じになるので、徐々に住宅地になります。

「第一次本店・工場」があった場所を発見。

松下幸之助創業時の建物工場

今は普通の家になっています。

「第一次本店・工場」

さらに進んで、「創業の家」を探してみます。
地図ではそんなに遠くはありません。
歩いてすぐ、こちらも今は普通の家になっていました。

松下幸之助創業の家

あの大企業が、この地で小さく始まったんだと思うと、感慨深いものがありました。

まあ、今では当然他の人の土地になって、工場なり住居として誰かが住んでいます。
「創業の地」とはいえ、普通の住宅や工場なので、時代が変われば別の人が使っているのは当たり前で、
予想通り、その痕跡などは全く見られませんでした。

「第二次本店工場」だけは、公園となったため石碑を置くのに適していたんでしょうね。
松下幸之助は、この地で少しずつ事業を拡大していったのがわかります。

今回歩いた道のりはこちら

どこも、その痕跡はありませんが、
松下幸之助が歩いた道を、あなたも歩いてみてはどうでしょうか。

松下幸之助創業の地記念碑のスポット情報

阪神野田駅周辺。松下幸之助創業の地記念碑を探して

仕事で阪神野田駅周辺へ。

阪神野田駅前

野田駅を出てすぐ、国道二号線を挟んで向かい側にこんなものが

松下幸之助創業の地

仕事の後に早速寄ってみる。
「福島区大開は松下幸之助さんの創業の地です」
と書いてある。

松下幸之助創業の地

松下幸之助と言えば、だれもが知っているPanasonic(松下電器)の創業者ですね。
一代であの松下電器を創り上げ、その功績は多くの人に認められるものです。

幸之助はこの福島区大開町で23歳の時に松下電器具製作所を創業します。
松下電器の本拠地といえば、大阪市門真市を挙げると思いますが、門真へ移転したのは1933年幸之助が38歳の時です。

で、その松下電器が創業した場所がこの通りの奥にあるみたいです。

福島区大開町

ここをまっすぐに西に歩いて行きます。
この通り、「モーヴロード」っていうみたいです。
この「ヴ」を使っているセンスがいいですね。

モーヴロード

右手には阪神高速神戸線と阪神電鉄本線がはしっています。
沿線ということもありその下には飲食店もたくさんみられます。

昔ながらの喫茶店

ムーヴロードの喫茶店

ここは高そうですね。おいしい和食が食べれそうです。

ムーヴロードの食事処

さらに進みます、だんだんと賑やかさがなくなってきて、住宅街のような感じになってきました。
この辺で、記念碑はどこだどこだと迷い出します。
入り口以外はどこにも案内がなかったので、不安になってきました。

すると、左側に公園登場!
記念碑があるとするとこういうところですよね。

公園

はいはい、ありました。
公園の北西角に記念碑がありました!

松下幸之助創業の地記念碑

この公園は大開公園という名前で、ここには第二次本店があったそうですよ。

記念碑の反対側は、松下幸之助が残した言葉でしょうか。

松下幸之助創業の地記念碑

記念碑の横には、説明文がいくつかありましたが、
これで、この場所が第二次本店だったというのを知りました。

松下幸之助創業の地マップ

マップを見ると、この辺に創業に関する地がたくさんありますね。
それぞれ探しに行ってみます。

今回歩いた道はここ

松下幸之助創業の地記念碑のスポット情報

大阪府吹田市の吉志部神社に上ってみた。この辺は「岸部」とか「岸辺」とか「吉志部」とかあってややこしい・・・。

大阪吹田市にある吉志部神社、吹田に行く用事があったのでついでにぶらっと散歩。
紫金山を右手に歩いていると、鳥居が見えてきた。
山のふもとにあるこの鳥居は二の鳥居。つまり、2番目の鳥居ってこと。

吉志部神社の二の鳥居

二の鳥居はこの場所にありました。

一の鳥居はここから南東にあります。

僕は北東の135号線から歩いてきたから気づかなかった。
二の鳥居を見て、「ほー、ここが吉志部神社の入り口かぁ」と思ったが、そうじゃなかったんだね。
確かに、地図で見てみると一の鳥居、二の鳥居と直線で並んでいる。
昔は大きい敷地だったんだろうか。

「きしべ」という名前はややこしい、このあたりの地名は「岸部」だけど、最寄り駅は「岸辺」。
国鉄時代にわかりやすい表記として駅名は「岸辺」にしたらしい、ややこしい・・・。
で「岸部」という名前も吉志部神社の名前にあるように、もとは「吉志部」でそれを簡略化したものだったらしい。
「吉志部」→「岸部」→「岸辺」ということです。
その「吉志部」の名は、当時この地で勢力を持っていた難波吉志一族に由来します。

二の鳥居をくぐって参道をあるく。

吉志部神社参道

静かなところです。
夕方だったので少し薄暗く、山の神社という感じでした。

階段を上っていくと拝殿が見えてきます。
本殿はこの中にあります。

吉志部神社拝殿

この拝殿は2008年に不審火により焼失し、再建されたものです。
応仁の乱後の再建後、400周年を迎えようとしている矢先でした、
入り口には犯人の情報を求める紙が掛けてありました。

吉志部神社の右手にはさらに奥へ行く道がありました、
紫金山の山頂へ向かう道です。
その途中に窯の跡(復元)がありました。

須恵器窯跡

その横には、吉志部古墳の石柱が。
その形はよくわからないですが、確かにそこに古墳があるようです。

吉志部古墳

このまま、紫金山公園まで行こうと思いましたが、時間的にそろそろ帰らないといけなかったので途中でしたが下山。
夕方で、蝉の声がなんとなくさみしげでしたね・・・
お盆も過ぎてこれからは秋です、夏の終わりはちょっと寂しい・・・

蝉

吉志部神社のスポット情報はこちら

大阪府吹田市の紫金山近くを散歩。吹田の有名なパン屋(Le Sucre Coeur)の近く。

吉志部神社を目指したわけじゃないですが、その辺に用事があったので行ったついでに吉志部神社に寄ってみました。
吉志部神社がある紫金山自体が初めてだったのですが、ふらっと寄るにはちょうどいい感じの山でした。
ここの岸部は、かつて渡来氏族の吉士氏の本拠地であったことからその名になったのだそう。

吹田の有名なパン屋(Le Sucre Coeur)です。
休みだったのか、仕込み中だったのか営業はしてませんでした。
前に来た時もやってなかった。
超有名なパン屋で、たまーに買ってきてもらったりします。

岸部の有名パン屋 Le Sucre Coeur

時間も夕方近かったので、軽く散歩気分で進みます。
途中ひまわりが咲いていました。
ひまわり畑行きたかったけど、今年は行けてませんね。

ひまわり

なんか、でかい向日葵もありました。

でかい向日葵

下におるボスみたいなヒマワリ・・・でかくないですか?
なんか違う品種なんだろうな。

進んでいくと右手に紫金山が見えました。
ふもとには小さな公園があります。

紫金山にある公園

公園にちょっと寄り道してみると、
「吉志部瓦窯跡」という看板がありました。
平安京の瓦をここで作っていたらしく、当時の窯の跡が見つかりました。

吉志部瓦窯跡の案内板

なんとなくそれっぽいのが近くにありましたが・・・違うのかな・・・これ・・・
案内板の近くに、なんかそれっぽい形があったのでとりあえず撮ってみましたが・・・

吉志部瓦窯跡?

さて、これから吉志部神社に向かいます

円通橋や大谷本廟内石窟。お盆に京都東山の大谷本廟に行ってきました。

京都東山に位置する大谷本廟。
浄土真宗の宗祖・親鸞聖人のご廟所(お墓)です。
お盆の時期で、多くの人がお参りに訪れていました。

大谷本廟

大谷本廟の参道入り口には円通橋という橋が架かっています。
何気なく通る人も多いかもしれませんが、その橋脚を見てみるとアーチ状の珍しい形をしています。
メガネのような形をしているので、「メガネ橋」とも呼ばれています。

アーチ状の橋脚

その下の皓月池(こうげついけ)には蓮の葉がたくさんありました。
時期がずれたので咲いていた蓮の花は1つしかありませんでしたが、満開の時期にはとてもきれいだと思います。

円通橋

かつては北側には北側には白蓮が、南側には紅い蓮が咲いてとてもきれいだったそうですよ。

橋を渡って参道を進みます。
左手に親鸞聖人の像があります。

親鸞聖人の像

さらに進んで、総門です。

大谷本廟総門

暑い!蒸し暑い!
汗ダラダラでしたが、氷のオブジェが涼しさを与えてくれます。
氷を触ると、当たり前ですが冷たかったです。

涼しげな氷

うん、でもやっぱり暑い!

仏殿を拝んだ後、仏殿と読経所の間を進むと、出たところでこのような石の洞窟が現れます。

大谷本廟内石窟

親鸞上人が学問をされていた場所だそうです。
『大谷本願寺通紀(おおたにほんがんじつうき)』(1785年/天明5年)によれば、この石窟は親鸞聖人の初期の廟堂があったと伝えられる場所、現在の崇泰院付近から移されそうです。
その隣には、親鸞聖人の末娘である覚信尼(かくしんに)の公碑があります。

覚信尼公碑

さらに進むと明著堂があります。
たくさんの人がここで手を合わせていました。

明著堂

昼を少し過ぎたころでしたが、朝方はもっと多かったかもしれませんね。
ここにも、氷が置かれていました。
またまた触ってみます、冷たくて気持ちいい!

帰りに「古代の蓮」の横を通りました。
蓮の開花時期は過ぎてしまいましたが、この蓮は2千年以上前の1粒の種から続く蓮です。

古代の蓮

大谷本廟のスポット情報はこちら

さあ、スタンプラリーに参加しよう

今昔写語の撮影に大阪城天守閣に行きました

スタンプラリーではなくて、別で運営している今昔写語の写真を撮るために、大阪城天守閣近くまで行きました。
今日もお昼の休み時間を利用して撮影に、夏休みの子供連れの家族も多かったです。
大阪城は海外からの観光客もとても多いですね。

会社の自転車でご飯を食べた後にさっそく向かいました。
今日は台風が去って次の日なので、天気は快晴!空気も澄んでいて気持ちよかったです。
何より気温が低かったので、あまり汗もかきませんでした。

大阪城の大手門から入ります。
大手門前にはこのような芝生の広場があって、気持ち良い季節には昼ごはんをここで食べることも多いです。
木陰も多いので、寝転んでいる人もよくみかけます。

大手門前

奥に大手門が見えます、ここの景色も写真を撮るにはいいスポットですね。
ここを今日は自転車で入っていきます。
外堀を渡って、門の中に入ります。

大手門

大阪城は結構広いので、歩いてゆっくり散歩するととても楽しいです。
大阪城の外周はジョギングをしている人もとても多いです。

桜門

内堀を渡って桜門をくぐります。
いよいよ天守閣が近づいてきました。
門の隙間から、大阪城が見えていますね。

大阪城の巨石

桜門をくぐるとすぐにあるのが、この巨大な石!
「蛸石」と呼ばれているこの石はどうやって運んだのだろうと思ってしまう。
大阪城にはこのような巨大な石で石垣を組んでいるところが随所にみられるが、当時のほかのお城の石垣と比べると本当に大きい。

大阪市立博物館

天守閣の前には大阪市立博物館がある。
かつて旧陸軍第四師団司令部庁舎だったところで、その後大阪市立博物館として使われていました。
2001年に大阪歴史博物館が開館するのに伴い、大阪市立博物館は閉館されました。
結局僕は大阪市立博物館には行ったことはありません。

大阪城

大阪城、かっちょいいですな。
ここでお仕事。
今日は今昔写語の写真を撮るため来ました。
その模様は、こちらをどうぞ

大阪城のスポット情報はこちらです

ぜひ、スタンプラリーに参加してください。

かっこいい写真をパシャリ!CMやドラマでよく使われる京都の水路閣に行ってきました

琵琶湖疎水記念館の次は南禅寺方面へ、
水路閣の様になる写真を撮りに行こうと向かいます。

東へてくてく進みます。
途中、きれいな蓮の花が咲いていました。

蓮の花

蓮の花って本当にすごいですよね、普段は汚い沼地からこんなにもきれいな花が咲くなんて!
たった1輪だけ、こうやって道端に咲いているのもなかなかいいですね。

ずんずん東へ進みます。
すると、南禅寺への門が見えてきます。

南禅寺の門

門をくぐってさらに東へ進みます。
右手には庭園が有名な、南禅寺塔頭である天授庵があります。
中には入りませんでしたが、奥にきれいな庭が見えていたので撮影してみました。

天授庵

南禅寺三門を左手に見ながら、さらに奥に進んでいくと、右手に見えてきました。

もうすぐ水路閣、少し見えていますね。
お寺の中にありながら、この洋風建築がとても似合っているのがすごいです。

水路閣

周辺の景観をこわさないようにと、田辺朔郎が設計、デザインしたものですが、
当時はやはり反対も多かったそうです。
いきなりこんなのができたら、なんでこんな洋風なものを持ち込むんだ!ってなるかもしれませんが、
今ではそれがかえって風情を持たせて、京都のシンボルとなっています。
新築の洋風建築物があると、やっぱり変かもしれませんね。
でも、この古びた感じのレンガが今では和と洋の見事なハーモニーになっているのかもしれません。

で、撮りたかった写真がこれ。
人も多かったので、なかなか好きなポジションをとれませんでしたが、
瞬間を狙って、人が写ってない写真を1枚撮りました。

水路閣

かっこいい!!
僕の写真の技術じゃなくて、誰が撮ってもかっこいいですここは。
他にも何枚か撮りましたが、常に誰かがこのどこかに映り込んでしまいます。

水路閣のスポット情報はこちらです

さあ、あなたもスタンプラリーに参加しよう!

琵琶湖疎水についての歴史がわかる琵琶湖疎水記念館を訪れました

前回の続き

蹴上インクラインから動物園前の噴水に進むと、右側に琵琶湖疎水記念館が見えてきます。
厳密には小さな案内板があって、それそって行ってみたら記念館があったという感じです。
私が入ったのは裏口みたいなところでしょうか、そこには水車と発電機が展示されていました。

蹴上発電所で使われていた水車です。

第一期蹴上発電所で使われていた二相式交流発電機です。

横の水路にはこのような扁額が見られました。
意味は忘れました・・・

琵琶湖疎水記念館は、南禅寺に向かう道から少し動物園側に入ったところにあります。

正面はこのような感じで、記念館っぽくなっています。

無料ではいれるので気軽に入ってみましょう。

琵琶湖疎水の記念碑や扁額は琵琶湖から京都にかけてたくさんあるそうです。
これすべて見に行けるのだとしたら、スタンプラリーにしてみようかと思っています。

ほかにも琵琶湖疎水にかかわるスポットはたくさんあります。

時間があれば、これらすべてをこのスタンプラリーのスポットに入れたいと思っているのですが、
どなたか手伝っていただけないでしょうか。

さて、記念館の中に入っていくと、さまざまな紹介パネルやジオラマなど工夫を凝らした展示で分かりやすく琵琶湖疎水の歴史が展示されています。

この辺りは何度も来ていますが、初めて記念館に入って琵琶湖疎水についていろいろと知ることができました。
普段何気なく見ていたものが、当時の様子を知ることでその歴史的価値を再認識することができました。

記念館の入り口にはこのような竣工百周年記念碑が建てられています

また、「疎水物語」の水というものも売っていましたが買いませんでした、
興味があれば買ってみてください。

このまま、あの有名な水路閣に向かいます。

琵琶湖疎水記念館のスポット情報はこちらです

ぜひ、スタンプラリーに参加してください。

琵琶湖と京都市内をつないだ琵琶湖疎水で利用されていた京都蹴上のインクライン

京都の蹴上に行くことがあったので蹴上インクラインを見てきました。
蹴上の駅を降りてすぐのところにあります。

かっこいいですね、この感じ。
琵琶湖から物資を運搬するために作られた水運路で、琵琶湖から山科、蹴上と繋がり、麓の市内へと船で運んでいました。
灌漑用水としても琵琶湖の水を京都までひっぱってくることは、古い時代からの念願でした。
山越えをするため、傾斜の強い部分ではこういったインクラインを作って船自体を車輪のついた台で運んでいました。

当時のものが今でも保存されて残っています。

これに舟を載せて、人や荷物を降ろさずにそのまま運ぶことができたんですね。

インクラインをそのまま下っていくと、京都市動物園前の噴水にたどり着きます。

奥に見える屋根が付いた休憩所みたいなところが京都市立動物園です。
小さいころにはよく連れて行ってもらいました。
大きくなってからは行ってないので、機会があれば行こうと思っています。

この噴水の右手には琵琶湖疎水記念館があります。
正面ではなく裏口なので、こちらからでは入り口がわかりにくいかもしれません。

途中カメさんがいました。

さて、次は琵琶湖疎水資料館に入っていきたいと思います。

蹴上インクラインのスポット情報はこちら

ぜひ、スタンプラリーに参加してください。

疣水磯良神社 – 神功皇后の伝説から病を治すといわれる清水が湧き出す

阪急京都線の総持寺駅からぶらっと疣水磯良神社に行きました。
それほど大きくはない神社でしたが、病を治す御神水として知られる霊泉「玉の井」はとても有名で、
ここまで水を汲みに来る人も多いそうです。

ここは、神功皇后が戦いに行くときに立ち寄った神社で、
神功皇后は女性のため、戦いの際に敵に嘗められるでしょう。
戦い初めが肝心、嘗められないように男性の格好をして、顔もいかにも強面なごつごつした顔にしたかった。
そこで、この磯良神社で顔を洗って疣つきの黒くいかつい顔に変身!
そしてめでたく敵に勝ったのでした。
戦いののちに、お礼に参った神功皇后はもう一度この清水で顔を洗ってもとのキレイな顔に戻したそうです。
そのようなことから、この神社御神頭の霊泉「玉の井」は、疣をはじめ病を治す御神水として知られるようになりました。
今でも多くの人が水を汲みに訪れているそうです。

疣水磯良神社をチェックしましょう。