長崎市東小島町にある高島秋帆旧宅は、秋帆の父、町年寄高島四郎兵衛茂紀が文化3年(1806年)に別邸を建てました。「雨声楼」「齢松軒」などと呼ばれています。
高島秋帆は父の没後、町年寄を継ぎ、長崎表御取締を命じられました。
天保9年(1838年)大村町の高島邸が焼失したため、この別邸が使われました。現在高島秋帆旧宅は建物はなく、石垣と敷地のみが残っています。
秋帆は荻野流砲術を父に学び、オランダから鉄砲を購入、西洋砲術を研究し、「天保上書」幕府に上申。天保12年(1841年)5月武州徳丸原で洋式の訓練を実施し、幕府から褒賞を受けました。
慶応2年(1866年)68才で没。