宮良殿内(みやらどぅんち、めーらどうぬじい)は沖縄県石垣市にある琉球王国時代の邸宅。国の重要文化財で、石垣港の北400メートルほどに位置する。メーラヤラドゥヌジィとも呼んだ。
殿内とは地頭職の者の邸宅の敬称であり、宮良殿内は首里の士族屋敷をまねた建築とされる。宮良家8世の宮良当演が宮良間切の地頭職(八重山頭職)にあった嘉慶24年(1819年)頃に建造された。
琉球王国時代の住宅は階級により厳重な規格があったため、この住宅も八重山の頭職(かしらしょく)には不相応として、5回にわたって取り壊しを命じられたが従わず、光緒元年(1875年)、検使の譴責により茅葺への葺替えが命じられた。1893年(明治26年)には石垣島を訪れた笹森儀助が宿泊し、家屋や庭園は沖縄県下で希である、と記している。1899年(明治32年)には再び瓦葺となった。宮良家に残されていた『万書付集』などの関連する古文書(『宮良殿内文書』)は、琉球大学に寄贈され、現在も保管されている。