五代 友厚は薩摩藩士で実業家です。幼名は徳助。通称才助。大阪経済界の重鎮の一人です。当時、「まさに瓦解に及ばんとする萌し」(五代)のあった大阪経済を立て直すために、商工業の組織化、信用秩序の再構築を図りました。
大阪に商法会議所を設立し初代会頭となるなど、大阪の商工業の発展に尽力した五代友厚の銅像です。
五代友厚公は、天保六年(1835)薩摩国に出生し、薩摩藩に出仕しました。その才覚により早くから頭角を現し、欧州視察に派遣されるなど、海外事情に通暁するようになりました。
明治維新後は、大阪で官職に就き、大阪造幣寮(現・造幣局)等の設立に尽力した後、民間に転じ、紡績業、鉱業、鉄道業などを幅広く手がけ、事業を大きく発展させました。