炭鉱と鉄道資料館は阿寒町から北側に進みますと道の駅「阿寒丹頂の里」があります。この道の駅の国道を挟んだ向かいに阿寒自然休養村野営場があります。
この野営場の中にある資料館が炭鉱と鉄道資料館です。ここから北東の場所には雄別炭鉱があり、そこで産出される石炭を釧路の港まで運ぶため1923年に雄別鉄道が開通しました。
それから半世紀近く雄別炭鉱は採炭を続けましたが石炭から石油へのエネルギーの転換の波には勝てず、1969年に茂尻鉱坑内で爆発事故を起こして茂尻鉱が廃坑に追い込まれました。これが引き金となり翌年に雄別炭鉱は閉山。当時従業員3000人を含め阿寒町雄別地区には15000人ほどの人が住んでいたが、一部の人を除いてほとんどが釧路に移住し、わずか数年で町は廃墟となりました。
閉山と同時に廃線となった雄別鉄道は、閉山から8年後の1978年には廃線跡を利用した釧路阿寒自転車道として利用される事となりました。この雄別炭鉱と雄別鉄道の歴史や記録を後世に残すための施設として1987年に炭鉱と鉄道資料館が建設。小さな資料館内部には雄別炭鉱に関する歴史の資料や道具等の展示、そして雄別鉄道に関する鉄道用具や制服などが展示されています。施設の裏にはC11蒸気機関車や車掌車なども展示。夏期期間の日曜日しか営業していないので訪れるには注意が必要です。