歴史
閑谷神社は、備前藩主・池田光政公が学校を設立し、その霊と像を安置して「芳烈祠」と称したことに始まります。創建は寛文年間と伝えられ、明治8年に県社に指定されました。拝殿、幣殿、本殿が前後に並び、西庭に神庫と繋性石が配置されています。本殿は入母屋造りで、内部には竿縁天井と拭板敷があり、光政公の金銅製座像が安置されています。昭和13年には社殿8棟が国指定の重要文化財として認定されました。
見どころ
閑谷神社の見どころは、学校創設者である池田光政公を祀るために建てられた本殿です。内部には光政像が輝く様子が見られ、聖廟に対して一回り小さく、1m低く建てられた建物が東御堂と呼ばれています。この東御堂は、光政公が孔子に対して「礼」を尽くしたことを表しており、歴史と教育の重要な要素がここに詰まっています。