明治10(1877)年9月24日午前4時に政府軍城山総攻撃が始まり、城山に立てこもりました。鹿児島市城山町にあります。西郷隆盛洞窟です。道が狭いので気をつける必要があります。
西郷隆盛洞窟では西郷隆盛が最後の5日間を過ごしたのがこの洞窟と伝えられています。9月24日、午前4時政府軍城山総攻撃が始まりました。城山に立てこもる薩軍兵士は、わずか300余。これを囲む政府軍は何重もの柵をめぐらし、その数4万。死を決した西郷は、夜明けを待って、5日間過ごしたこの洞窟を出ました。桐野利秋、別府晋介、村田新八、池上四郎といった私学校の幹部たちも一緒です。この日の西郷の出立ちは妻のイトが縫ったしまの単衣に白い兵児帯。ゆっくりと岩崎谷を下ります。その時流れ弾が西郷の腰に命中。別府の介錯をあおいで49歳の生涯を閉じたのですとの説明があります。そしてこの洞窟を出た西郷隆盛は、政府軍の弾を受け負傷します。後に最後を迎える場所として西郷隆盛終焉の地があります。