仏殿と読経所の間の通路を抜けたところに、石の洞窟があります。
江戸時代の京都名所記した書物『京童跡追(きょうわらべあとおい)』でも紹介されている大谷本廟内石窟。
親鸞上人が学問をされた場所で、石窟の入り口付近には、漆喰の痕跡や踏石があり、扉があったことがわかります。
石窟の中の絵には老女が扉の前で合掌している様子が描かれています。
『大谷本願寺通紀(おおたにほんがんじつうき)』(1785年/天明5年)には、
この石窟は親鸞聖人の初期の廟堂(大谷廟堂)があったと伝えられる場所から移されたと記されています。