わが国で初代の文部大臣を務めた森有礼(ありのり)の誕生地は、現在の鹿児島市清水町にあります。弘化4年(1847年)、薩摩国鹿児島城下春日小路町(現在の鹿児島県鹿児島市春日町)で薩摩藩士・森喜右衛門有恕の五男として生まれた。造士館で漢学を学び、元治元年(1864年)頃より藩の洋学校である開成所に入学し、英学講義を受講する。慶応元年(1865年)、五代友厚らとともにイギリスに密航、留学しロンドンで長州五傑と会います。その後、ロシアを旅行し、さらにアメリカにも留学しました。
森有礼は鹿児島中央駅前にある若き薩摩の群像の中の一人です。五代友厚らと共にイギリスに密航しました。その後、森はイギリスからロシア・アメリカに渡り帰国したのち、伊藤博文内閣の初代文部大臣となりました。伊勢神宮参拝で不敬行為があったと噂され、憲法発布式典の朝、国粋主義者西野文太郎によって刺され、翌日没。