大龍寺は慶長16年南浦文之の開山で、30石の寺領がありました。大龍寺は内城を居城とした貴久の号「大中」と島津義久の号「龍伯」をとってものと云われており、我が国近世朱子学の開祖桂庵玄樹の弟子文之が慶長16年(1611)に開山しました。
大龍寺の地はもとは島津15代貴久が築城した内城の跡で、15代貴久、16代義久、18代家久がこの地を居城とし、慶長7年家久は鶴丸城を築き移転し、その跡地に大龍寺が創建されました。大龍寺跡の現在は大龍小学校になっています。国道10号を鹿児島市山下町から長田町方向に向かい長田陸橋を越えると上本町交差点がある。この交差点を左折し県道25号鹿児島蒲生線を約300m行くと南州神社入口交差点に着きます。ここを右折して約200m程進むと大龍寺跡があります。
明治17年に建設された旧校門が残されており近くには文之和尚の記念碑があります。